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札幌文化芸術交流センター SCARTS札幌文化芸術交流センター SCARTSスマートフォンサイト

ひと・もの・ことをつなぐ。創造性の光をむすぶ。


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ひと・まち・アートを語り合う SCARTS CROSS TALK

札幌にゆかりのあるアーティストや、
文化に関わる活動をされている方を
ゲストに迎えて行う、
札幌市民交流プラザスタッフとの対談。
ゲストの活動の紹介とともに、
札幌の文化芸術活動のいまとこれから、
そして、札幌市民交流プラザに期待される
役割について語ります。

ここから本文です。

1

詩を読むことで歴史を遡り、
イメージを拾っていく―
見えてきた北海道

小山
SCARTSのミッションの一つに、「時代を捉えた新たな表現の可能性を探究する」というものがあります。今を生きるアーティストの手によって創作され発信される表現には、現代の社会状況に対する問いかけや応答が含まれていて、そういった作品を見ることで、観客もまた自分の中にある問いや、さまざまな事に気付くことができると私は考えています。高嶺さんの作品もまさにそうです。社会の中で見えなくなっている問題をあぶり出したり、見る人一人ひとりに問いかけるような作品を制作されています。
今回、札幌文化芸術交流センター SCARTSと札幌文化芸術劇場 hitaruとの連携事業として、高嶺格さんをお招きし「歓迎されざる者~北海道バージョン」が実現しました。高嶺さんはさまざまなメディアを使いますし、多くの人と協働しながら作品を制作されているので、テクニカルスタッフの常駐するSCARTSで一緒に作品をつくれたらと以前から考えていたのですが、hitaruと協働し、小劇場であるクリエイティブスタジオで開催することができるのであれば、さらにアウトプットの可能性が広がるのではないかと思いました。そこで今回、展覧会の中で朗読のパフォーマンスが行われる、美術と演劇の間のような作品、「歓迎されざる者」のリクリエーションをお願いしました。
高嶺
京都での「歓迎されざる者」は、自分の中でとても良くできた作品だと感じていました。最初は、単純にその再演だと思って「やります!」と二つ返事をしたんです。でもその後話をしていく中で、SCARTSとhitaruと協働しながら「北海道バージョン」をつくってほしいんだということがわかり、「あ!それは大変なことになりそうだな」とも思ったんですけど、前作から3年ほど経っているし、せっかくこういう設備やスタッフさんも揃っているし、熱意も感じて、アップデートしたほうが自分的にも面白いかなと思って、「大変そうだけど…やりましょう!」ということになったのが、2020年の秋くらいでしたね。
小山
そうですね。そこから本格的に動きはじめましたね。
高嶺
最終的に、京都バージョンとまったく違うつくり方になっているので、モチーフとして共通しているところはあるんですけれど、内容はほぼ別物になりました。リサーチベースの作品で、北海道に来ていろんなものを見聞きしたり、本を読んだり、それこそ詩を読んだりすることで出会っていったもので構成された作品だと思います。
京都バージョンの時は、漂流船との偶然の出会いというのがテーマとしてあったので、最初、北海道で漂流船はないか調べてもらったりもしていたんですよね。でも、それはやはり不自然だと思って、もっと別の、偶然の出会いはないかと考えていたんですが、なかなか北海道に来られない状況だったので、小山さんがいろいろ調べて送ってくれたんです。でも実をいうと、膨大すぎて全然読めなかったんですよね(笑)
小山
すみません(笑)
高嶺
それから、作品としてはやはり詩が中心だということで、書肆吉成の吉成さん(※)を紹介していただいて話を聞いてもらったら、とても好意的で、これまたすごい量の詩を選定して送ってくれました。そういった出会いをつくってもらえて良かったと思っています。自分の足で見に行けたのはウポポイ(民族共生象徴空間)と北海道博物館、北海道百年記念塔、開拓の村くらいで、もちろん、そこで見たことも蓄積されてはいますが、時間を遡るツールとしては詩だったんですよね。たくさん送ってもらった詩を、ゆっくりとだけど、じっくり何度も読んでいったら、だんだん北海道のイメージが塊のようになってきた気がします。詩を読むことによって歴史を遡り、そこからイメージを拾っていくような作業に変わっていったんです。
小山
前作は漂流船がモチーフになっていたので、文学に詳しい吉成さんにははじめ、船や海で思い浮かぶ北海道の詩はないかと伺いました。そこから話が広がって、前作からの作品のテーマを考える中で、では北海道から見て外から来る怖いもの、歓迎されないと感じるものは何だろうかという話をしたりして、出てきた話をまとめて高嶺さんにどんどん送ってたんです。今思うと、自分の中でも今作のテーマ、北海道としてのテーマを、高嶺さんや関わってくれる人たちと一緒に探っていくような作業だったなと思います。

※ 北海道の歴史と詩歌、思想、芸術の本を多く扱う札幌市の古書店「書肆吉成」の店長、吉成秀夫氏。 本作にドラマトゥルクとして参加している。

高嶺
京都バージョンは北朝鮮に対する偏見がテーマでした。偏見があるから漂流船のことがすごく怖い、忌み嫌うという感情がまわりにあり、それがとても引っ掛かりました。そこで、その偏見を抱いている対象に対して弔いを持ってくるという作品にしたんです。今現在もある、差別についての作品です。でも、だからといって今回のために、北海道にある差別的なものをわざわざ探しに行くのはどうかという思いがあったので、最初は、今現在起こっていることではないものにしようとしていたんです。
山田
「今現在起こっていることではないもの」を探していっても、実際には今現在起こっていることと繋がっているものがある気がするのですが、そこはいかがでしたか?
高嶺
もちろん、あったと思います。そこはやはり扱いが難しいですよね。北海道の開拓って日本各地から人が集められて、土地を与えられたけど木や根を掘り起こすのが大変で、結局帰ってしまったという話がいっぱい出てくるじゃないですか。そういうことが北海道全体であった。札幌もそうでしたよね。もとは原野だった。僕はこれまで札幌には何度も来ているんですけれど、そういう場所に立っているんだという認識を今までは持っていなかったんです。でも、そう思ってみたら、風景も、歩いている人も、全然違うように見えてきました。その変化が、今回一番、僕にとって面白かったところです。今回朗読されている詩は、北海道で書かれたものがほとんどなのですが、それを北海道の人が、現代の北海道の会場で聞いている。皆さん歴史を知識としては知っていると思うのですが、その歴史を詩に書かれている言葉に変換されて聞いた時にどんな風に聞こえるのか、とても興味があります。山田さんは札幌出身ですが、どんな風に聞こえました?
山田
どうでしょう。私は制作段階からずっと聞いているので、なかなかお客さんと同じように見ることができず、返答が難しいですね。でも、「歓迎されざる者」という作品名もそうなのですが、どこまでの射程をもって受け入れることができるかは個人差があると思いますし、人によって全然捉え方が違うと思います。この作品に描かれていることを、今現在起こっていることだと切実に捉えられる人と、自分には関係ないと捉えてしまう人がいるなと思いますし、この作品で扱っている問題って、関心がある人・関心がない人とか、気付いている人・気付いていない人、当事者・非当事者みたいな、いろいろなフィルターがあると思うんです。そういった点でも、この作品はすごく見る人に委ねられていると思いました。最初に詩を朗読している舞台がありますが、その奥の展示や、最後の通路もそういう仕掛けになっていますね。
高嶺
難解な作品ですよね。
山田
はい。作品をインストールしていてそう思いました。
高嶺
確かにリテラシーを問われるところはあるし、僕がお客さんとしてフラッと入ったら、最初は居心地の悪い思いをするんじゃないかなって思うんですよね。「これって、詩を聞け、理解しろってことだよな」って。そして他に見るものがないから、まず一生懸命見ると思うんです。そのための、詩を聞く行為に集中させるための空間に仕上がっていると思います。すぐに去ってしまう人もいるでしょう。でも、ちょっと聞いてみるかと思ったら、結構長居してくれるんじゃないかなと、期待もしています。
山田
そうですね。普段詩が身近ではない人も、この空間を設えたことによって詩を聞くことができ、それによって作品全体を受け取ってくれるといいですよね。

2

水盤に浮かぶオブジェ、映像と音、
そして出口へ
観客に委ねる空間をつくる

《歓迎されざる者~北海道バージョン》
撮影:kenzo kosuge

朗読者の動きで水の波紋がおこる
撮影:kenzo kosuge

読み上げられたテキストが燃えていく
撮影:kenzo kosuge

高嶺
京都バージョンは、フレームの力が強かった気がします。作品を体験する流れをつくりこんでいて、ある種、お客さんの心理状態をコントロールしているような作品だったんです。でも今回はそのフレームをつくっていません。京都の時は時間がなかったこともあり、詩も、割とざっくりした読み方で選んだ部分があったのですが、今回は何回も何回も繰り返し読んで選んだものだから、完全に詩が中心の作品になっています。だから、詩を聞いてもらうための空間をつくったという方が正しいかもしれません。それに、照明の力もすごく大きいですね。hitaruの照明の方が「こういうこともできる」という可能性を一緒に考えてくれて、手法もいろいろ見せてくれたので、その中から一番キレイな組み合わせを選ぶことができました。バリエーションをつくってもらったおかげで、詩の朗読とともに四季も見えるし、時間帯もさまざまに違って見えるような…。作品が広がった感じがします。
小山
そうですね。それに、吊られているオブジェも、照明で浮き上がるように照らされていました。あれは札幌近郊の、銭函の海岸で拾った漂着物を樹脂で型取りして置き換えたものなのですが、それが、読まれる詩の内容とともに、骨に見えたり、炎に見えたり、ある時は星に見えたり、いろいろなものに変わっていきました。朗読される詩に反応して、静謐な空間に賑やかな街が重なって見えたりもしました。
山田
オブジェもキャストの衣装もシンプルでしたが、朗読が終わった後に現れる船の形も影になっていて、全てが抽象的だからこそ、いろいろな捉え方ができましたよね。本当に、観客に委ねられている部分が多いなと思いました。でも、最後にテキストが燃えていくというイメージだけが、すごく具体的でした。それも最初は波紋で見えていない状態から、だんだん具体的に見えてくる仕組みになっていた。それまでが全て抽象的だった分、あのイメージが急に具体的でぐっと強い印象を受けました。ああいう映像にしようと思ったのは、どの段階で決めたんですか?
高嶺
炎にしたらどうかっていうのは、吉成さんからのアドバイスなんです。映像を使おうというのは決めていたのですが、アーカイブ的な映像がいいのか、自分で何か撮れるかなと考えているときに、吉成さんから炎のイメージが浮かんだと言っていただいて。吉成さんは北海道の地図が燃えるのはどうかと言っていたんだけど、でもそれは、僕にはできないなと思ったんです。いってみれば僕はお客さんとして北海道に来ているので、その僕が北海道を燃やすことはできない。そこで、今読んだばかりのテキストが燃えていくものにしました。その中に歴史的な内容も書かれているし、船が燃えていくようにも見えて、今そこにいて読んでいた紙はすでに燃えている。そうなるとこの人は一体どこに行くんだというイメージと繋がっていく。制作中の実験の時に、映像を投影して床の水盤を歩いてみたら、波紋がすごくキレイだったんですよね。具体的なイメージを投影していても半分は見えなくなる。だから、水でかき消されるものとして何がいいかと考えた時、炎というのはバッチリだと思ったんです。

巨大なオブジェの影
ビニールシートが膨らんでは縮み、動いている
撮影:常松英史

出口へ続く通路
撮影:常松英史

山田
正反対のものというか。
高嶺
うん。流れている音の波形みたいにも見えるし、いろいろな調和がとれていますよね。
山田
吊るされた漂流物が昇降する動きも波のようですしね。出口へ通じる通路の展示では、半透明のビニールシートが壁を覆っていました。ビニールシートって、汚れないように養生したりとか、最近ではお店のレジ前に設置されているように、内と外を分けたりするためのものといったイメージがあります。でも、炎の映像を見せられた後にビニールシートを見ると、本来は内と外を分けるためのビニールがまるで熱で溶けてしまうかのように感じ、内と外が一体となるような感覚がありました。ビニールシートのカサカサで、半透明な素材というのは、ありふれているものでもありますが、全然違う風に見えました。
高嶺
あそこ、なかなか決まらなかったんだよね。最後まで。
山田
オープン当日までがんばって作業しましたね。
高嶺
空間の順路的には京都バージョンを踏襲していて、最後にオチ的なものを置き、全てが繋がるようにしようと最初は思っていたんです。でも制作の中であまりにも京都バージョンとはつくり方もゴールも違うものになってしまった。だから最後までここに何を置くのか考えながらの作業でした。でもあまり言葉ばかりになってしまうと疲れてしまうから、言葉じゃないイメージ的なものをそこに置きたかったけれど、北海道をリサーチした後に自分で造形的な物を出すところまで至らなかったんです。そこで銭函で拾った漂流物を今度は粘土でつくって、それにそれぞれの詩から抜粋した印象的なフレーズを活版の版で押した上で表面を剥ぎ取ったものを拡大して壁面にしました。ビニールを使ったのは、動きを出したかったからです。僕自身の癖なんですが、コントラストをつけたいというのがいつもあります。水を張ったり、映像を使ったりしたら、絶対シャープなイメージになるし、ある種ラグジュアリーな空間になると思ったので、逆に次の空間は工事現場みたいにしたかった。キレイなものだけだとすごくソワソワするんです。逆のものをつくりたい欲望があるんです。

3

関わる人々との協働で提示する、
新たな領域

小山
今回、高嶺さんにはリサーチのことや詩のことも含めて全体を考えてもらいながら、見え方については高嶺さん、SCARTSのテクニカルスタッフ、hitaruの舞台技術スタッフとで実験をしながらつくりあげていきましたね。
山田
水を張る時も、どうやったらうまくいくか、水が何日もつのか、技術的に何回も同じような状況をつくってリハーサルをやりました。
小山
こういうつくり方をすること、ありますか?
高嶺
あまりないですね。それに、もともと僕、リサーチベースのつくり方ってあまり得意じゃないと思うんですよ。忘れっぽいから。少なくとも1カ月くらい滞在したりするような、現場を1カ月使えてつくっていくようなやり方の方が得意なんです。今回は現場に入る以前に資料のやり取りがかなり多かったので、その部分で僕が不慣れというのはあったんですけど、でも、僕の仕事は選んでいくことだったんですよね。いただいた資料や詩を選定していく作業が一番大きかった。オーディションに応募してくれたパフォーマーや、イメージを伝えた上で衣装さんがリストアップしてくれた衣装などを選択する。あとになって「自分は何をしたんだろう」と考える時もあるんですけど、でも割と、選んでいく、そういうつくり方の方が向いているかもしれないですね。僕は絵が描けないので、こういう時に絵が描けたらいいのになって毎回思います。2000年に札幌のCAIで展覧会をした時も(※)、油粘土をたくさん使ったインスタレーションをつくったんですが、その時も僕は絵が描けないので、手伝いに来てくれていた美術系の学生さんに「ちょっと絵を描いてください」と言って、絵を描いてもらって。じゃあこれとこれをここに展示しましょう、みたいなつくり方をしているんですよね。三つ子の魂何とやら、ですね。
小山
面白いですね。でも絵が描けないという言い方は、予め「こういう風にするぞ」というビジョンを伝えるというよりも、いろいろな条件や関わる人たちと反応し合いながら組み上げていく、今回のようなやり方をそのまま現わしているように思いました。

※ CAI現代芸術研究所の招きで2000年
に札幌で滞在制作を行い、展覧会「冬
の海」を開催した。

山田
今回関わった人たちの話をすると、吉成さんや私たち企画側から情報をいろいろ高嶺さんにお見せして、SCARTSのテクニカルスタッフやhitaruの舞台技術スタッフ含め、照明や昇降物、展示プランとかを提案しあったり、試したりしながらでしたね。それを高嶺さんが選んでいくという体制とやり方は合っていたのかもしれません。
高嶺
hitaruの舞台技術の方たちが上演中もずっと現場に張り付いてくれていたのですが、とても責任感が強いというか、ちゃんと仕事をされる方たちだと思いました。皆さん、楽しんでくれていたら本望ですが。
小山
舞台技術の皆さんも、演出家と一緒というのはあっても、高嶺さんのような美術家とイメージが固まらない状態から一緒につくり上げていく作業は、なかなかない経験だと思うので、楽しんでやってくれたんじゃないかなと思います。照明の方も最初のころからいろいろ相談に乗ってくれて、いろんな機材を試してくれましたよね。SCARTSにとっても出演者さんのケアだとか舞台をつくるための細かい調整など、hitaruのスタッフと動くことでなかなか普段関わることのない領域の仕事を見ることができました。こういう風にお互いの経験を積み上げていけるのが連携事業の意義ですし、そこで高嶺さんのような方と一緒に制作できたことは大きかったと思います。それに「歓迎されざる者」のように、美術と舞台の中間くらいの、こういう作品自体があまりないと思うので、やっぱり貴重な経験になりました。
高嶺
あまり提示されていない領域を、つくる側はつくっていったらいいと思うし、お客さんの体験としても「こういう形式もあるのか!」と、思ってもらえてたらうれしいですね。
小山
はい。その時に、つくる側と共に試行錯誤して一緒に走れるような施設でありたいなと思います。