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ひと・もの・ことをつなぐ。創造性の光をむすぶ。


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ひと・まち・アートを語り合う SCARTS CROSS TALK

札幌にゆかりのあるアーティストや、
文化に関わる活動をされている方を
ゲストに迎えて行う、
札幌市民交流プラザスタッフとの対談。
ゲストの活動の紹介とともに、
札幌の文化芸術活動のいまとこれから、
そして、札幌市民交流プラザに期待される
役割について語ります。

ここから本文です。

1

科学技術とアートが、認識を拡張する。
2つに共通する性質

齋藤
僕たちSCARTSとCoSTEP(北海道大学高等教育推進機構オープンエデュケーションセンター)は、2020年8月に包括連携協定を結びましたね。先日は共同でワークショップを行い、いまその成果展(※1)の会場に来ています。お話しするにあたり、まず、CoSTEPとはどんな組織か教えてもらえますか?
奥本
「科学技術コミュニケーションを教育研究する部門」と、言っているのですが、そもそも「科学技術コミュニケーションって何?」という方も多いですよね。例えば、私たちは普段、スマートフォンといった科学技術の結晶を使っていますが、その中身までは知りません。科学技術が人々に大きな影響を与える今、大学では次に考えている技術開発や研究の内容を社会に伝える機会が少なく、それが問題になっています。北海道大学では、開発や研究を始める前や、今ある科学技術の中身について市民と対話する場を設けるため、CoSTEPという専門部門をつくりました。そしてCoSTEPでは、科学技術者と市民の橋渡しができる人を育てるプログラムも展開しています。つまり、教育、実践、研究、全部行う組織です。
齋藤
SCARTSでも、SCARTSアートコミュニケーター「ひらく」という市民チームを結成していますが、その目指すところは「市民とアートのつなぎ手」です。自分が関わる分野と人々の橋渡し役的なところでCoSTEPと似ていますね。
奥本
CoSTEPでも、科学技術について伝えた後に、自ら考えてもらう方法としてアートを活用しようと考えています。科学者や技術者が先端的な科学技術を開発したとしても、社会全体で利用の方法は考えないといけません。
齋藤
奥本先生の中で、科学技術とアートはどのような関係なのでしょう?
奥本
私はもともと美術史専門で、オーディエンス・ディベロップメントという普段美術館に来ない人にどうしたら美術館に来てもらえるかという研究をしていました。美術館に興味のない方は入館料を安くしたりしても来てくれず、やはり鑑賞自体に興味を持ってもらわないといけません。そこで、絵の知識を教えるのではなく、複数の作品の似ている点を探したり、大きく描かれている部分を注目したりする、絵の見方を教えました。そうすると、知識はなくても、人々は絵について自分なりに見るようになり、興味が向上したんです。科学技術コミュニケーションでも、単に話しましょうと言っても難しい。そこでアーティストと組んで、小さなお茶室を立て、科学者と市民との対話の場を設けました。狭く周りから閉ざされた空間では、市民の方も気兼ねなく科学者と対話できました。
齋藤
面白いですね。興味の対象は自由に選択できるけど、実は人って自分が何を考えているのかわからないところもある。そういう人に、「アートや科学技術って面白い!」と思ってもらうための道筋をつくる感じですかね。
奥本
そうですね。CoSTEPは、そういう場を学内だけでなく、学外にも設けたいと思っていて、SCARTSと連携することで、対話の場をどんどん街中にインストールしていけると思っています。

齋藤
それはまさに、SCARTSの狙いだと思います。ここは札幌の中心部。今回、SCARTSの++A&T(プラプラット)という事業の一環でCoSTEPとコラボし、科学者とアーティストと高校生による「バイオの大きさ/未来の物語」というワークショップを行いました。その成果展は入場無料なので、この近辺で働いている人にカフェのコーヒーを飲みに来がてらフラッと立ち寄ってもらいたい、ここのフリースペースで勉強している人たちに見てほしいという気持ちがあるんです。それは、「偶然出会ってしまう」という状況をつくりたいからです。1990年代以降日本では、市民にひらかれたアートをつくろう、地域との協働でアートプロジェクトをやろうという動きがあります。僕もそれは大切だと思いつつ、ともすれば押しつけがましいものになってしまわないか、という危惧が常にあります。いわゆるアートに触れていなくても、根源的な意味で創造的に生きている人や、別のことに情熱を持って打ち込んでいる人たちはたくさんいます。そうした人たちに対して声高に「アートって面白いですよ!」と言うのは気が引けますが、「えっ、なんかアートって面白そうじゃん」って思わせるきっかけをデザインすることはできるのではないかと考えています。
奥本
コミュニケーションって、頑張ると続かないと思うんです。アートと科学技術って親和性が高いと言いますが、科学技術は専門性が高いし、アートは近寄りがたい。日常とは少し違うテーマを扱う時、知識がないと理解できないという形にすると、入りにくいコミュニケーションになってしまいます。何もしなくても科学やアートを楽しめる状態をつくっていく必要があると思うんです。
齋藤
一方では、難しいことを敢えて楽しむ人もいますよね。僕自身がそうなのですが、一見すると近寄りがたいような作品の前で悶々と思索するのが好きなんです。そういう場面では、あまり他の人とコミュニケーションはしたくなくて、孤独に作品と向き合いたい。もちろん、作品と向き合っている時点でコミュニケーションは発生しているんですけれど。
奥本
いろんな楽しみ方があっていいと思います。私が以前、11次元の研究をしている物理学者に「11次元って何?」と聞いたら、「目に見えるものばかり信じているからわからないんだよ」と言われたことがあるんです。目に見えること=科学と思っていたので、そうじゃない科学があるという発見は楽しかったですね。結局11次元についてはわからなかったんですけれど。
齋藤
アートって、純粋に難しいものを難しいと捉えられる点が魅力だと思うんです。そこを補っていく科学とアートの関係が面白いのかな。11次元の話のように「ものの捉え方がふと変わる」きっかけをアートがもたらすと思うんです。科学とアートの関係というと、例えばメディアアートやバイオアートのようにわかりやすく科学技術を取り入れているものばかりがイメージされがちですが、もう少し根源的なところ、「認識を拡張する」というような部分でアートとサイエンスは近い気がしています。

※1 ++A&T CoSTEP×SCARTS×
札幌の高校生たち「バイオの大きさ/
未来の物語」ワークショップ成果展
2021年3月12日~4月18日

2

未来像にイノベーションを。
札幌というフィールドから生まれた物語

奥本
今、科学教育研究の分野で、科学者も、子どもも、科学を理解する時には自分なりの言葉で物語をつくって理解していくことが指摘されています。アーティストは、そこが上手ですよね。科学者が物語的に科学を考えていても、それを発表する機会がないし、外で語るときには、誤解を与えてはいけないという責任感から言葉を変えてしまうんです。
齋藤
理性的でロジカル、つまり公的な言葉にしてしまうんですね。
奥本
そこにアートが介在することで物語性はアーティストが担ってくれると私は期待しています。アートを通すと科学が魅力的に見えるわけではありませんが、人間活動の営みの一つと捉えてもらうことで、自分事として捉えられると思うんです。今回のワークショップにも参加した内海俊介先生は、ご自身が科学者になった原体験として、手塚治虫先生の『ブッダ』にインスピレーション受けたと言っていましたね。同じように、もしかしたらアートを通すと、自分事として科学技術を見る目、未来を見る目に反映されていくのかもしれません。
齋藤
今回、「個」をベースに生態系の成り立ちを研究している内海俊介先生、グリーンインフラという、自然の力を活用して僕たちの生活の基盤をつくる研究をしている松島肇先生、お二人それぞれの研究を高校生に紹介してもらいました。そこから高校生たちが、アーティストの久野志乃さんから学んだ手法で、自分たちの思い描く未来を物語にした。科学技術を社会に組み込む時の、物語の重要性を考える上で、このプロセスがすごく有意義な活動になったと思います。
奥本
今、イノベーションにおいてトランジションデザイン(※2)が注目されています。トランジションデザインは新しい科学技術や知見を実装する時、社会の仕組みを一緒に考えていこうとする考え方です。例えば、地球温暖化の問題を考える時、私たちの生活スタイルも見直す必要があります。世の中の仕組みの変化によって、科学技術は使われたり使われなかったりする。科学者は自分たちの技術を、社会にどう当てはめるのかシナリオを考えていかなくてはなりません。でも、科学者のシナリオだけではどうしても限定的です。その点でいくと今回高校生たちがワークショップでつくった物語には、これまで北大で行ったワークショップとは全く違うイメージが出てきました。例えば「文字がなくなる」という物語がありましたが、今まで自分たちが使ってきた「文字」がなくなるというシナリオは、科学者の思う未来像とは違う観点です。++A&Tで考えた未来は、科学技術者側にとってもすごく刺激になるし、これからを生きる人たちにも大切なもの、引き継がなくてはならないものを意識するきっかけになったと思います。
齋藤
今回のワークショップの科学者とアーティストの組み合わせを知った時、僕はちょっと意外に感じたんです。CoSTEPとのコラボレーションであれば、メディアアーティストとか科学技術に通じているアーティストになると思っていたから。
奥本
久野志乃さんは絵の具など、アナログな素材で絵を描くアーティストですよね。
齋藤
途中から、事前に想像していなかったことが起きていることが面白くなってきました。久野さんが関わっていることで、科学者が描いている未来像やシナリオ戦略とは違う要素がどんどん出てくる。思い通りにいかないこと自体が、社会を考えながら科学技術を考えていくことなのかと思いました。すごくいいコラボレーションだったと思います。
奥本
今、STEAM(スティーム)(※3)という、理系の学問の中にアートをどう取り入れるかという流れがあります。アートが持っている解釈の力、その解釈から自分たちのイメージをつくり上げる力が、理系の研究や教育にも必要だと考えられていて、今回、思い切ってアーティストの解釈の過程を追体験していくワークショップにしたのは面白かったです。バイオアートというテーマで、技術的な部分に着目するのではなく、科学者もアーティストも自然との共生という観点からワークショップを展開していきました。札幌で活躍するアーティストも、そして地域に根差した研究を行っている北大の科学者の組み合わせで、ローカライズしたワークショップにしたのは、むしろ正攻法だったのだと思います。
齋藤
間違いなく新しいものができたと思います。対談前に奥本先生と、新しいものが常に古くなっていく循環をつくっていきたいという話をしていたのですが、今回の++A&Tのように、さまざまな分野の人が関わり合うことで新しい発想を生み出すことが大事なんじゃないかと感じました。ゴリゴリのメディアアーティストを呼んでワークショップをしていたら、こうはならなかったんじゃないかな。
奥本
フィールドワークで、地域の文脈が共有されたからこそ、あの面白い物語ができた。それはやっぱりSCARTSならでは。そう思います。

※2 社会の価値観の移行を促すデザイン。

※3 もとはSTEM(S=Scienceサイエンス、
T=Technologyテクノロジー、
E=Engineeringエンジニアリング、
M=Mathematicsマスマティックスの
頭文字を取ったもの)。
最近では芸術(A=ART)が加わり、
STEAMという言葉が使われている。

3

市民参加の問題とプロセス
共通する新たな目標をつくり、
関心を創造していく。

齋藤
先端技術を取り入れる時、社会の文脈を考えなきゃいけないという話が出ましたが、じゃあその社会に住んでいる我々がどう振る舞うのかを考えるとなるとこれは難しい問題ですよね。例えば「市民参加」という言葉がありますが、定義はさておき、一般に「市民」と言った時に、取りこぼされる人が山ほどいる。また、主権者である僕たちが未来を選ぶ手段として一番分かりやすいものは投票行動だったりするわけですが、今は基本的に政策を選びますよね。例えばどの金融政策を選ぶか、どの福祉政策を選ぶか。でも、それぞれの政策がどんな帰結を迎えるのかは専門家ですら意見が分かれる話です。政策を選ぶ難しさ、市民参加の難しさ、専門家の社会における立ち位置の難しさ。結論を言うと、専門家に信頼を置けない社会はダメですよね。
奥本
先端技術の問題は、専門知識だけでは解けないものもありますが、専門知識がないと深く議論ができないこともあります。ただ中心的な議論はありつつも、それを囲むように、周辺的に参加できることも大切。そこに反対意見が出るのは、とてもいいことだと思います。ポスト・ノーマル・サイエンス(※4)の時代だと言われ、科学が人々にもたらす影響力は大きいけれど、専門家ですら確実に判断できない「科学・技術」が多い今日。いろいろな人の目から、リスクや懐疑的な点をきちんと話し合い、ゼロリスクにはならないのは承知の上で、ここまでベネフィットがあるのならこのリスクは取ろう、といったように経済的、社会的観点からもすり合わせて、納得をつくっていかなければなりません。
齋藤
僕なんかは、リソースやエビデンスが多すぎて政策を選べないんです。これは科学だけじゃなく、文化、芸術もそうですよね。
奥本
でも皆さん、自分の意見に心地よいものをちゃんと選択していますよね。科学技術コミュニケーションもそうですが、アートコミュニケーションも、バックグラウンドが違う人とのコミュニケーションって居心地がよくない。アート好きと、アートに興味がない人へのコミュニケーションだと、後者は相手が自分のことを無視している気がするし、相手側は興味のない人に対して「全然勉強しない」と感じてしまう。それをうまく社会の中に取り入れていくのが、おそらくSCARTSやCoSTEPの役割ですよね。その人の好みじゃない部分について、少しでいいから話してみることも大切だと思います。
齋藤
コミュニティには、そこに入れる人、入れない人が出てくる問題があります。アートの場合、入れた人たちだけで心地よい空間をつくりがちなんじゃないかと思うことがよくあります。僕はこの対談まで、価値観が違う人に合わせるより、その人にとって居心地よいコミュニティがたくさんの種類あればいいと思っていたんです。でも、コミュニティ同士がぶつかることもあるし、さっき話した、選択をしなければならない問題もあるから、そのあたりを考えてコミュニティをつくっていく必要がありますよね。僕が思うに、市民参加といった時、そんなに同意が取れるのかなという疑問があって。同意なんて取らなくていいという考え方もありますが、この社会には不都合な事実がたくさんあるし、例えば暴力でしか表現できない人なんかもいます。でも、そうした存在を無視してはいけない。それも踏まえて市民参加と言うのは、本当に難しいですよね。

奥本
コミュニケーションを取りさえすれば仲良くなれるわけではないし、アートと同じく科学者も居心地の悪いコミュニケーションを受け入れていく姿勢は必要だと思っています。コミュニケーションで解決しないこともあるけれど、それを避けていいわけでもない。だから頑張らずに、面白いことをどれだけ長く、街の中や地域という場で続けていけるかですよね。科学人類学者のラトゥールは、「関心の翻訳」といって、違う目標がある場合、共通する新たな目標をつくることで、衝突を回避しながら実行する道筋を示しました。そういう活動は必要ですね。
齋藤
「専門家を信頼できるかが大切なんじゃないか」と先程言いましたが、僕は多分そういう時に「教養」の概念が大切なんだろうなと思っています。教養って、昔は例えば哲学書を何冊読んだのかとかだったと思うんです。でも、今の社会に必要な教養はそうしたものではないし、知識を振りかざすことに対する嫌悪感が社会の中にあると思います。僕はよく新書を読みますが、これってディープな研究をしている専門家の表層部分を、専門外の人もひらいてくれるメディアだと思うんです。読むことで、遠い存在に思える専門家の考えや価値観に触れ、専門家への信頼をいい形でつくっていける気がする。ここから先は専門家の領域だと分かりつつ、自分たちが何を判断し、どう振る舞えばいいのかを感覚として掴んでいく上で教養は必要なんだと思います。これって、専門領域としてのアートにも同じ事が言えるんじゃないかと思うんです。
奥本
例えば、オリンピックの新国立競技場でザハ・ハディッドの建築が否定されたことは、建築家という専門性に対する否定だったと言えますよね。一方で、私のよく見る番組にEテレの「オドモTV」があります。子どもの自由すぎるアイデアに一流のアーティストが一緒に取り組むのですが、それを見ていると、小さい子が面白がって建築やアートに自由に触れている。対話だけではなく、一緒に楽しむことを子どものうちから始めているというのは、すごく面白い試みだなと注目しています。教養の形っていろいろだし、それを埋め込む方法もいろいろ。そこをSCARTSと一緒に考えていけたらなと思います。
齋藤
埋め込むという発想!さっきの僕の話だと、市民側が専門家にどう寄っていくかはもちろん、専門家側も市民に対してどうアプローチしていくかってことですよね。
奥本
そうですね。インスタ向けのフォトスペースに行ったら、実はそこ自体がアートだった、みたいな埋め込み方とかでもいいのかな。
齋藤
その埋め込みの場として、SCARTSが機能できればいいと思います。
奥本
SCARTSとCoSTEP、形が違う機関のコラボレーション。今後も、毒にも薬にもなりそうな面白いものが生まれる予感がします。

※4 社会的影響力は大きいのに、
科学的、技術的な不確定要素が
高い科学技術を指す。