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札幌文化芸術交流センター SCARTS札幌文化芸術交流センター SCARTSスマートフォンサイト

ひと・もの・ことをつなぐ。創造性の光をむすぶ。


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ひと・まち・アートを語り合う SCARTS CROSS TALK

札幌にゆかりのあるアーティストや、
文化に関わる活動をされている方を
ゲストに迎えて行う、
札幌市民交流プラザスタッフとの対談。
ゲストの活動の紹介とともに、
札幌の文化芸術活動のいまとこれから、
そして、札幌市民交流プラザに期待される
役割について語ります。

ここから本文です。

本稿は、2021年9月5日に行われたトークイベントの内容をSCARTS CROSS TALK記事用ダイジェスト版として編集しました。
※作品画像撮影:リョウイチ カワジリ

1

北海道で出会った「百年記念塔」に
衝撃を受け、作品のテーマに

(作品4) やんツー《たたない塔》2021年

樋泉
本日、2回目のアーティストトークになります。ここからは、やんツーさんと大橋鉄郎さんにお話を伺っていきたいと思います。大橋鉄郎さんは、苗穂駅近くで札幌のアーティスト十数人が入居されている「なえぼのアートスタジオ」で、普段制作をされています。今回は、やんツーさんもその一角で、1週間ほど滞在制作されていますので、一緒のスペースで制作をしていた仲間ということになりますね。
やんツー
そうですね、すっかり。
樋泉
では、まずやんツーさんの方から、自己紹介と、今回の作品についてお話をいただきたいと思います。
やんツー
はい、よろしくお願いします。やんツーです。僕は、2009年からキャリアをスタートして、2011年から現在まで、ドローイングマシーン的なものを発表し続けています。この《SENSELESS DRAWING BOT》という二重振り子による運動によって、スプレーでグラフィティ的な視覚性をもった線を描くドローイングマシーンで知られているかと思います。北海道では、2014年の第1回札幌国際芸術祭のときに、キュレーターの四方幸子(しかたゆきこ)さんに呼ばれて、札幌の人にはお馴染みの「チ・カ・ホ」という公共空間で展示しました。この展覧会のテーマにもつながるんですけど、人間ではない「他者」として振る舞う「主体」となる装置をつくり表現してもらうということをやってきました。メディア・アートはテクノロジーの利便性や合理性によって創造性を飛躍させるような作品が多いんですが、僕はここ1~2年、一方でテクノロジーが持つスペクタクルの裏に潜んでいる政治性や社会性に非常に意識的になって作品をつくるようになってきました。
それでコロナに対して、いろいろ考えさせられる中、今回の展覧会のオファーがありました。下見を兼ねて、5月に一度札幌に来て当初、一番気になったのが、やっぱりテクノロジーについてで、札幌ってメディアアーツ都市を謳っていますよね。「あれどうしてですか?」という話をしていた流れの中で、「そういえば百年記念塔って、当時のすごいテクノロジーを集結させて建てられたらしいよ」って、誰か言っていたの、覚えてます?
樋泉
はい。うちの男性スタッフがしていた話ですね。
やんツー
そこで、「はて、百年記念塔とは?」となって実際に行って見たんです。名前の通り高さ100mもある塔で、「北海道」命名100年を記念して、1970年に建てられた。でも、北海道外から多くの人が修学旅行などで訪れていて、あんなに存在感があるにも関わらず、ほとんど知られていない、そのことにとても驚きました。とにかくこの塔のことが気になって仕方がなくて、これをテーマに今回の作品をつくりました。タイトルは、《たたない塔》(作品4)。「たたない」は平仮名にして、どんな漢字でも当てはめることができます。実際のインスタレーションでは、先端が百年記念塔と同じ30度でカットされた長さ5mの鉄骨が電動ウィンチで吊られて宙に浮いています。その奥の絵画は、自分で描きました。今まで頑なに自分で絵を描かず、装置に描いてもらっていたんですが、今回色々と思うところがあり自分で久しぶりに絵を描いてみました。「なえぼのアートスタジオ」で普通の向きで描いたものを、ここで可動壁に逆さにして張ってもらいました。後ろの昇降車が最初に上昇して、上りきったと同時に壁が横に動いていって、最後に手前の鉄鋼が先端を地面に向けるようにゆっくりと傾きます。これ最後に何をしているかと言うと、実はB3サイズぐらいのスケッチブックにドローイングしているというオチです。壮大な、ヒューマンスケールを超えた物たちが、演劇的に動くようにシーケンス(※)を組んであるので、決まった動きしかしないんですが、順番に動いていって最後に、ささやかに、すごくやわらかいドローイングがなされる。百年記念塔は老朽化が原因で、維持するにもお金がかかるので、取り壊されることが決まっているそうなんです。本来、100年もつはずが、50年で。そこには、ここでは語り尽くせない、いろんな問題があって、リサーチするとよくわかるんですけど複雑なんです。そんな話を受けて、取り壊される予定である塔が自分の再設計をするという、物語的な構造が作品の中にあるという状態。背景にはモエレ沼にあるガラスのピラミッドに百年記念塔が刺さった絵もあって、これは、バーネット・ニューマンの彫刻作品《ブロークン・オベリスク》のオマージュです。アメリカにワシントン記念塔という、建国記念の塔があって、それがバキッと途中で折れて、ピラミッドの頂点に突き刺さるという、かなりラディカルな作品です。彼は、崇高な精神性や神秘性をテーマに表現する作家だったんですが、一方で社会活動にも参加していたりします。《ブロークン・オベリスク》は神秘的な情景を表出しながらも社会的メッセージも多分に感じる作品で、北海道はアメリカ建国の歴史をロールプレイするような経緯があるので、今回、100年記念塔とガラスのピラミッドという札幌の要素を用いた パロディ的な絵を描いてみました。

樋泉
やんツーさんは今回、「とにかく、大きいものを動かします」というお話を最初にしていただいて。
やんツー
SCARTS側からも大きいものを期待していますと言われ、僕も「でかいもの動かしたいです!」となりましたね。
樋泉
この作品は、大きな物がゆっくりと、パフォーマンスのように順番に動いていって、最終的に鉄鋼がすごくかわいらしく、ふわふわの飾りのついた鉛筆で、ささやかに絵を描くという、ものすごく大掛かりでありながら、達成することがすごく小さなかわいらしいヒューマンスケールなことである点が、アイロニーというか、「もっと速く」とか、「もっと多く」とか、そういうことにテクノロジーを使うのとは別の使い方をするというコンセプトですね。先ほどご紹介いただいた過去の作品と比べてみると、今回はご自分で絵を描かれていますね。わりと質感のある手わざという感じの絵。それと、百年記念塔のイメージだと思うんですけど、鉄鋼も錆びさせて、最終的に照明を当てるときに物自体に光を当てて、そこにもかなり質感や表情が現れている。その点も今までの作品とちょっと違う気がしました。モチーフも具体的に百年記念塔ということがあるので、その点も今までと違うアプローチである気がしたのですが。
やんツー
今までの自分の制作セオリーでいくと、絵も自分で描いちゃダメだし、人工的に錆びさせることも、本当はやりたくないことではあったんです。百年記念塔には、コールテン鋼という鉄鋼が使われていて、1970年代の当時、公共彫刻や橋とかによく使われていました。なぜかというと、普通の鉄は錆びていくと、どんどん腐食が進んで壊れるんですけど、それで、今回作品で使用してる鋼材も人工的に錆加工を施しました。コーティングになって中の鉄が守られて熟成されていくという「熟成する鉄」なんです。設計した井口健さんは、老朽化なんてあり得ない、この色は熟成の証だと。見るからにサビサビなんですけど、あれは本当によく熟成されている証だと主張されています。それで、今回作品で使用してる鋼材も人工的に錆加工を施しました。あと、メディアアート作品にはよくあるんですけど、作品が持ってる機能としてのインタラクションとか、やらせではないノンフィクション性に鑑賞者はリアリティを感じて引き込まれていくんだという感覚を個人的に強く持ってました。でも自分の作品でも多い「インスタレーション」という形式が実はもともと演劇的と言われていたり、現在、演劇作品に関わっているということもあって、最近、演劇というフォームの芸術にとても興味があります。そうすると演劇はフィクションの塊みたいなものであり、「芸術はフィクションで全然良いんだ」という思いが強くなってきました。手書きの絵というものに関しては、作家の自意識がダイレクトに投影され、そこから派生する神秘性だったり権威性みたいなものが好きじゃなかったので、頑なに自分では描かず、装置に描いてもらい、作家性を移譲していたみたいなところがあります。でも今回巨大な百年記念塔が逆さになっているイメージがどうしても必要で。写真でも良かったのかもしれないですけど、絵だとちょっと抽象化もされるので。それで、久しぶりに自分で絵を描いたのですが、素朴に、めちゃくちゃ楽しかったです。
樋泉
具体的なモチーフがあるということについては?
やんツー
まず百年記念塔を実際に見た時に、強烈な衝撃を受けました。他の方がこれまでにも展覧会で取り上げているモチーフなのでどうかなと考えましたが、僕はもっと違う、百年記念塔に限定せず、「塔」そのもののありかに広げて考えたいと思いました。権威の象徴として見做される塔というものがまず、立たなくても、塔として成立するのか。浮いていたり、反転していたり、伸縮していても、それでも塔と言えるのか。それが、引いてはテクノロジー自体にも思うことであって。このまま人類が、「これは便利だ」と、テクノロジーを無意識にどんどん使っていくと、資本主義のサイクルに飲み込まれていく。資本主義の奴隷としての人間が、もうすでにできあがっているといえる。そのことを「悪」とするとテクノロジーなんて、もうない方がいいという人もいる。となると、テクノロジーを一切使わないことになるのか、僕はテクノロジーを軸に作品を作ってきたので、そうなると詰んでしまう。なので、それでもテクノロジーを使うために、テクノロジーについてもその「ありか」を問うために、非合理的で無駄で、尚且ささやかな目的を達成するために、大げさにテクノロジーを使うということを意識しました。具象度の高いモチーフは抽象的な事を語り、鑑賞者を引き込むための取っ掛かりになるのかなというのを実感し、今の所手応えを感じています。

※ 順番に並んだ一続きのデータや
手順、またそれらを取り扱う処理
方式のこと。

2

実物との隔たり、届かない実態を
意識した「モデルルーム」

(作品5) 大橋鉄郎《モデルルーム》2021年

樋泉
では、大橋さんの自己紹介と、作品のご紹介をお願いします。
大橋
大橋鉄郎です。札幌生まれで、札幌在住で制作しています。実は僕も百年記念塔をテーマとして扱った展覧会に参加したことがあるんです。札幌生まれで、今は東京在住の佐藤拓実さんという美術家の方が企画した展示で、百年記念塔が50年で取り壊しが確定した時に瞬発的に動いた企画でした。第1回が確か2018年で、第2回は2020年に開催した展覧会で、絵と映像の作品を展示しました。僕はこれまでや今回の作品もインターネット上の画像を使っているんですが、この時はそれとは違って、自分で実際に百年記念塔へ足を運んで、そこで撮影した素材を作品の中で立体物のテクスチャーとして扱いました。さっきやんツーさんがお話しされたように、取り壊しの問題以前に建てられたプロセス、それが北海道開拓の記念碑でもあるみたいに、僕がその問題にどれだけ踏み込めばいいのか。センシティブな内容を扱う怖さも持っていて。実際見に行って作品化する時に、結局、表層しか見てないんじゃないかという、自分に対しての戒めも込めて制作していました。
最近では、紙を使った立体作品をつくっています。変形させるものだったり、潰して並べるインスタレーションをやってみたり。Googleストリートビューの写真を元に立体にしたりしながら、既存のイメージや、インターネット上のイメージを用いた作品を展開しています。
今回は、家具量販店のネットショップの画像を基に立体作品(作品5)をつくっていまして、ちゃんと許可をいただいて使っています。元々が1枚の写真なので、どうしても裏側はデータとして見えないし、テクスチャーが不正確になり、写真の画質以上には正確なイメージが得られないんです。得られる情報の精度や、その深さみたいなものが、立体で再現しようとした時に明らかに届かない情報として露わになることを意識しています。
やんツー
あくまで想像上の立体なんですね?
大橋
そうです。
やんツー
あくまでも1枚の画像から立体化しているから。確かではないですよね。
大橋
確かではない。ただ、ネットショップの中で家具のサイズみたいものは何ミリ×何ミリと書いてあって。
やんツー
確認したんですか?
大橋
一応、確認しています。得られる情報は、得るようにします。それは他の作品群でも同じです。例えばGoogleストリートビューを基につくった作品で、灯油のタンクみたいなものをつくったときにも「この型番は何だろう?」とか、PDFの図面とか。
やんツー
実際、現場に行って見ることは?
大橋
していなくて。Googleストリートビューは、物にもよるんですけど、取り壊されてなくなったエリアのものとかを扱うときは、もうアクセスできない。これも、場合によっては家具を実際見ずにネット上だけで見て購入をする時に「家に入るかな」とか、何となく予想をしていく、そういうプロセスをなぞりつつ。

やんツー
なるほど。
大橋
図面をつくる前に、カメラ位置を出したり、全体のスケール感を出したりするんです。その想定をしていくんですけど、そうやってこう上から見たときに、家具がどこに配置されて、壁がどれぐらいの距離感でというのを何となく出していく。
やんツー
すごいね。現場検証みたいな。
大橋
ただ、そこも予想しかできない。それは確証が常にない状態で、物自体のディティールをつくり込めない感じなんですけど。パソコンなんかはもう、何のパソコンかも分からず。左にある机のこの左の四角い物体が、おそらくプリンターだろうとか。
やんツー
いやぁ、それにしてはすごく良く立体がつくれていますよね。想像なのに。たぶん図面を起こして、そこからペーパークラフトの型紙をつくっていくんですよね。
大橋
そうですね、プロセスとしては立体のモデリングをして、壁も床も立てた状態をつくるので。その後に、それをアンフォルダーというアプリケーションがあって。
やんツー
ペーパークラフトを展開できる?
大橋
はい、それは少し前の作品から使うようになったんですけど、それまでは、スケッチアップの2Dに展開図をバンと出すというのを使っていたんです。アンフォルダーだったらのりしろまで出してくれるので、すごく便利だ!と思って。それで展開図をつくって、カットしていくというプロセスです。
樋泉
ありがとうございます。

3

コロナ禍での情報との向き合い方
二人の行動の自覚と無自覚

樋泉
先程のお話にもありましたが、以前、大橋さんも百年記念塔の展覧会に参加して作品をつくられましたね。私自身がそこで、すごく印象に残っていたのが、大橋さんが、自分が「表層」しか捉えられていないということを明言していたことなんです。今回の作品もそうなんですが、モノとしての実体のあるものを撮影して、インターネット用の小さな画像データになって、そこからさらにプリントして、データが劣化していく、イメージが粗くなっていくというプロセスがあるじゃないですか。その中で、実物との隔たりがどんどん大きくなっていく状態を、そのまま示している。大橋さんは、自分が表層にしかたどり着けないということを正直に言っている感じが、百年記念塔の展示の時も、今回も思っていることなんですね。これはお二人にお聞きしたいと思うのですが、コロナ禍で今は特にそうかもしれないですけど、SNS上でいろいろな情報が流れてきていて、そこに反射的に自分がどちらの立場なのかというのを、暗に求められる状況がある気がするんです。そうした「情報」に対する向き合い方について、どういう風に思っていらっしゃいますか?
大橋
そうですね。アトリエで制作している時に、照明の話をしていまして。僕の作品の照明がバッチバチに光る…。
やんツー
極悪な照明だと(笑)。
大橋
僕としては、Amazonで安かったから20本とかの蛍光灯をまとめてたくさん買ったんですね。で、使ってみたら光も良かった。こういう作品なので、スポットライトで当てるというよりは、撮影のスタジオに戻すような意味合いもあったりして、均一な光を当てたい気持ちがあって選んだんですよ。それで「これ、Amazonで買ったんですけど、すごく良くて!」って言ったら、やんツーさんがちょっと怪訝な顔をして、「Amazon嫌いなんだよ」って。
やんツー
最近は全く使わないことはないですけど、極力使わない。資本主義に対するちっちゃい抵抗を、ちょっとずつしている(笑)。
大橋
その時に、またこれは無自覚でやっているんだなって思うわけですよ。
やんツー
自覚なかった?
大橋
買った時には自覚はないんですけど…。僕、ある安い家具屋さんのベッドを持っているんですけれど、引っ越しの時に、業者が解体して組み立てたらパーツが壊れたんです。1回の引っ越しにも耐えられなかった。壊れてしまう前提がどっかあるような気がして、それこそ親子代々に伝わる家具や衣類といった扱われ方じゃないなって。そういったことを、すごく意識しながらやっている中、結局、Amazonの便利なものを無自覚に使っているし、そういう自分がどんどん露わになっていくなぁということは意識させられていますね。その話をした時に「また、やっている!」みたいな。
やんツー
でも、選択肢がないですよね、若い人って。物理的にどうしてもお金がなかったりすると、そういう安くて、大量生産されるものしか選択肢がないから辛いところですよね。
大橋
ささやかな抵抗という話をしていましたけど…Amazon自体が加速主義の象徴のようで、Amazonプライム会員だったら、「何でこんなに早く届くんだ?」っていうぐらい(笑)。
やんツー
そう、早く届きすぎる(笑)。

大橋
「お金を払える人には早く届けるよ」という、優先される背景もあるんですけど、何かすごく象徴的だなと思って。けど、それに抗おうとした時に、結局、使わざるを得ない時ももちろんあるだろうし、どうしてもここだけは使わないと決めて、別のところで買うこともあると思うんですけど、どこまで許容できる、できないみたいなことは、やんツーさんなりにどうしてるのかなと気になっていて。
やんツー
矛盾が生まれるので、それはちょっと先に言っておくんですけど…いやでも、Amazonは本当に、今年は極力使わないでみようと思って、使っていないんです。本当に仕方がない時以外は。結局、ハードコアにやろうとすれば、本当に原始人みたいになっちゃうんで、考えどころなんですけど。僕は可能な限り出かけたいと思うんですけど、出かけられないじゃないですか、今。でも、感染対策に注意して、秋葉原にパーツを買いに出かけるとか。
意識すると、生活の端々にそういうことを感じますね。SNSとかも、使えば使うほど良くない気がするけど、ついつい使ってしまう自分がいたりして。そのことを考えれば考えるほど、矛盾がボロボロ出てくるので辛くなるんですけど。とは言え、真っ直ぐディストピアに向かう気にもなれないというか。大橋くんの今回の作品は大量消費、大量生産に対しての、皮肉や批判の塊みたいに僕は見ていて、僕より10個下の若い人のリアリティが非常に良く投影された作品だと思います。ダメだと分かってるものに対して、自身が抗う術なく、ある種、自虐的に振る舞っているようにも見えます。個人的にはそういう趣向作品は大好きなんですが、最近の僕のモチベーションとしてはもう少し別の可能性を見せるような作品をつくっていきたいなと。ダメなところを皮肉として見せるのではなく、何かちょっと希望を見せるような。「これならあり得るかも」というような。
樋泉
ありがとうございます。お二人とも、共通する関心があったりして、本当に良い組み合わせでトークができたと思います。あとは、実際の作品を見ていただけるよう、少しでも早く開催できるように祈りたいと思います。