札幌が記録的な大雪に見舞われた2026年1月25日。
公演3日目の千穐楽を迎えた能藤玲子創作舞踊団「神の舌―夢の入口」は、
交通機関の遅延等に配慮し、開始を30分遅らせて上演された。
クリエイティブスタジオに集った満場の観客にとって、
忘れがたいステージとなった。
札幌が記録的な大雪に見舞われた2026年1月25日。
公演3日目の千穐楽を迎えた能藤玲子創作舞踊団「神の舌―夢の入口」は、交通機関の遅延等に配慮し、開始を30分遅らせて上演された。
クリエイティブスタジオに集った満場の観客にとって、忘れがたいステージとなった。
砂澤ビッキの彫刻と
舞踊のコラボレート
スポットライトに照らされ、舞台上で茶褐色に浮かび上がる、砂澤ビッキの彫刻《神の舌》。そこに下手からゆっくりと、ダンサーたちが登場する。スカートは二重の仕立てで、内側の生地は紅色に見え、たくし上げると揺れる裾の動きが、ちろちろとのぞく「舌」をイメージさせた。
続いて《神の舌》の陰から、腰から下に白い布をまとった男性ダンサーが現れ、ソロパートを踊る。 もしかして神の化身の舞なのか?と想像したのは、踊り手の中で彼だけが、カッと口を開き、自らの舌をこちら側に見せたからだった。
そして、創作・演出を手掛ける能藤玲子が、つま先から初めの一歩を踏み出して舞台に現れた瞬間、空気が変わった。筋肉の造形が感じ取れるような腕の動き。地に着いた足の運びと重心の移動。 存在感が際立つ彼女の黒いドレスもまた、裾から赤い色がのぞく仕立てであり、その部分は「生命」の象徴のようにも思われた。
創作舞踊は、物語性が強いクラシックバレエとは異なり、より根源的。 華美なセットもなく、要素がそぎ落とされたスタイルだ。 そこから何を受け取るかは、観る人によって、またその時の心情によっても変わるだろう。
BGMは、時にイタリアのアリア、時に雷鳴や雨の音。 鑑賞しながら思い出したのは、20年ほど前に音威子府村を訪れた際の記憶だった。かつて砂澤ビッキがアトリエにしていた廃校跡の小学校で、展示作品を初めて見たあの時、私は「風のようだ」と思ったのだ。
動かない彫刻からなぜ風を感じたのか、深くは考えなかった。 けれど、改めて舞踊と彫刻の調和を目にしたことで、当時の感覚が呼び起こされた。 人間の動きによって攪拌される空気が舞台上で風となり、北海道の樹木を彫った作品と、 ひとつになっていた気がした。
慈愛や諦観を感じさせる
90代の肉体表現の境地
ダンサー数人による舞踊は、不規則に寄せては返す波のような動き。 一糸乱れぬバレエの群舞とは違って、シンクロした左右対称の踊りは少なく、6人のアンサンブルだったり、2人ずつに分かれたり、フォーメーションは常に変化する。 腕の角度や首のひねり、息をどこで吐くか、などの細かい動きから、自己の肉体を使ってそれぞれの感情が表現されているようだ。踊り全体から、大小の“うねり”が感じ取れたのは、やはり「舌」というテーマによるものだろうか。
クライマックスで再び能藤が登場し、観客の視線がステージの一点に集中する緊張感が、客席にいても感じられた。 《神の舌》に触れるか触れないかの距離まで近づき、作品を慈しむような表情を見せる。 それは「貫禄」とか「凄み」を超越したものだ。 6歳から90代半ばの現在まで、踊り続けてきた中で到達した境地だろうと思う。
例えば同じピアニストでも、超絶技巧を駆使できる若い時と、一定の年齢を重ねてからでは、奏でる音色が違う。フジコ・ヘミングの晩年の演奏からは地を這うような印象を受けたし、難病を乗り越えて先日カムバックしたスタニスラフ・ブーニンの演奏は、祈りにも似ていた。
能藤玲子と砂澤ビッキは同じ1931年生まれで、本公演の千穐楽は、ビッキの命日でもあった。 アーティストもアスリートも同じだが、肉体的な変化を受け入れながら、長く現役としてひとつの道を極め続けるには、どれほどの鍛錬を要することか。
「命を燃やす」という言葉がある。 能藤が私たちに見せてくれる創作舞踊は、常に未来を向いた、ひとつの命の燃やし方なのだ。
( フリーライター 矢代真紀 )